テセウスの船と、私が幸せになってほしかった「あの人」のこと

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あんな

こんにちは、あんなです。

物語の最後で、登場人物たちが幸せに暮らしている。願いが叶って、不幸な出来事がなかったことになる。

それなのに、よかったね、とは思い切れずに、寂しくなってしまうことがあります。

私が幸せになってほしかった、あの人はどうなったんだろう。

ドラマ『テセウスの船』や、映画『ファーストキス 1ST KISS』を観たときに感じたことです。そこから「同じ人」「同じもの」って何だろう、と考えていたら、自分が大切にしているものが少し見えてきました。

※この記事は、ドラマ『テセウスの船』と映画『ファーストキス 1ST KISS』の結末に触れています。未視聴の方はご注意ください。

Contents

私なら「テセウスの船(復元)」と呼びたい

「テセウスの船」という問いがあります。

英雄テセウスの船を残すために、傷んだ部品を少しずつ新しいものに取り替えていく。やがて元の部品がひとつもなくなったとき、それはまだ同じ船なのか、というものです。

私は、全部の部品が入れ替わったなら、「テセウスの船(復元)」かな、と思っています。

その船がテセウスの船と呼ばれる理由が、「英雄テセウスが乗っていたこと」なら、新しい部品だけでできた船は、彼が実際に乗っていた船そのものではない気がするんです。

同じ姿をしていても、その材料にテセウスが触れたわけではない。
もちろん、これは私の感じ方で、何か正解を出したいという話ではありません。

教科書に出てくる人が、この床を歩いた

昔の建物でも、似たことを思います。

古い床を見て、「あの教科書に出てくる人が、同じ床を歩いていたんだなあ」と思いをはせる。すると、遠い昔の人が少し身近に感じられるんですよね。

本の中で名前を知っている人が、本当にここにいて、この床を踏んでいた。その事実が、私には大切なのだと思います。

だから、修復のために交換された床と、昔の人が実際に歩いた床は、私の中では別のものです。

たとえば、地震で被害を受けた熊本城。昔からあるものをきちんと直して、後世につないでいこうとする作業は、すごく大切だと思っています。

壊れたから終わりにするのではなく、直して、残していく。そのために力を尽くす人たちの仕事にも、受け継いでいくこと自体にも価値があると思います。

でも、「それは修復前と同じものですか」と問われると、やっぱり少し迷うんです。残された部分もあるでしょうし、建物全体を別物と言い切りたいわけでもありません。ただ、新しいものに交換された部分は、昔からそこにあったものとは違う、と感じます。

修復して残すことが大切かどうかと、同じものかどうかは、私の中では別の話なんですよね。

新しい床にも、建物をこれから支えていく価値はある。でも、「昔のあの人が本当にここを歩いた」という歴史まで、新しい床に移せるわけではない。そんな感覚です。

同じ遺伝子でも、同じ私ではない

少し極端な例かもしれませんが、もし私と全く同じ遺伝子を持つクローン人間がいたとしても、その人は私自身ではないと思います。

私の性格や考え方を作ってきたのは、これまでに経験してきたことだからです。

誰と出会ったか。何を嬉しいと思って、何に傷ついたか。迷ったときに何を選んできたか。

その人には、その人が生きた時間がある。同じ遺伝子でできていても、私と同じ時間を生きてきたわけではないんですよね。

船や床と人間を、そのまま同じものとして考えることはできません。でも、私が気にしているのは、「実際に何を経験して、ここまで来たのか」なのかもしれない。そんなふうに思いました。

願いは叶った。でも、あの人の続きは?

ドラマ『テセウスの船』では、主人公の心が過去に戻り、家族を苦しめた事件を防ごうとします。

けれど、私たちが追ってきた心は、過去で命を落としてしまう。最後に登場するのは、事件のない家庭で育った心です。

家族は救われた。その心も幸せに暮らしている。
でも私は、そこでショックを受けました。

あの苦しみを抱えて、家族を救おうと頑張った心は、もういないんだ。

最後の心は、つらい経験を忘れたというよりも、そもそもその経験をしていない。私には、ずっと観てきた心とは別の人のように感じられたんです。

映画『ファーストキス 1ST KISS』でも、似た寂しさがありました。

こちらは、夫の駈が亡くなる結末そのものを変えられたわけではありません。過去に戻ったカンナとの関わりを通して、駈が、その後の二人の15年間を変えていきます。

一緒に過ごす時間が変わったことには救いがあります。でも、その違う15年間を過ごしたカンナを、夫を救おうと奔走していたカンナと、私はすんなり同じ人として受け取れませんでした。

時間や記憶の仕組みについては解釈もあると思います。設定として「別人だ」と言い切りたいのではなく、私には、あのカンナの人生がそのまま続いたようには感じられなかった、ということです。

私が見届けたかったのは、幸せになった結果だけではなく、そこまで悩んで、努力してきた本人の、その後だったんだと思います。

「修理しながら守ってきた」という歴史もある

私はこれまで、こういう結末をハッピーエンドと感じる人の気持ちが、よくわかりませんでした。

その人の積み重ねや努力や経験は、どうなるんだろう。そこが気になって、素直によかったとは思えなかったんです。

そんなとき、Xでテセウスの船について、別の考え方を聞きました。

部品が交換されても、一隻の船を修理しながら、継続して守ってきた。そのつながりを大切にする見方もある。

ああ、そういうことか、と思いました。

新しい船を別に一隻造って、同じ名前をつけたわけではない。その船をなくさないために、傷んだところを直しながら受け継いできた。

そう考える人にとっては、部品の交換は船の歴史が途切れた瞬間ではなく、その歴史を続けるためのことなんですね。

昔の建物も同じで、私は「昔の人が歩いた床かどうか」を見ていました。でも、床を修復してでも、その建物を守り続けてきたことに目を向ける考え方もある。

私が見ていた歴史と、受け継いできた人たちの歴史。どちらも積み重ねなのに、見ているところが違った。

守り続けてきたことに価値がある、というのは、私ももともとそう思っていました。驚いたのは、その継続を理由に、部品が変わっても「同じ船だ」と考えられることでした。

私にとっては、「大切に受け継がれているもの」と「昔のそのもの」は、必ずしも同じではありません。でも、受け継がれてきたつながりそのものを、同じものである理由にする見方もある。そこが、目からうろこだったんです。

同じものではないと感じる部分があっても、大切に残してほしい。その両方の気持ちが、私の中にはあるのだと思います。

そして、この「守りながら受け継いできた」という見方で考えると、ドラマや映画の結末も、少し違って見えてきます。

『テセウスの船』では、父の文吾は、家族を救おうとした心のことを覚えています。最後の心自身はその経験をしていなくても、文吾の中には、未来から来た心と過ごした時間や、受け取った思いが残っている。

その思いを胸に、息子や家族を幸せにしようと生きてきたのだと考えると、最後の幸せな家族の姿は、心の人生と切り離されたものではないのかもしれません。

『ファーストキス』の駈も、未来から来たカンナの思いを受け取って、その後の15年間を生きていきます。カンナを幸せにするために、二人の日々を変えようと努力する。その積み重ねが、最後に描かれるカンナの人生につながっているんですよね。

本人の経験としては続いていないように見えても、その人の思いを受け取った誰かが、続きをつないでいる。

私は、心やカンナ自身が経験してきたことに目を向けていました。でも、文吾や駈がその思いを受け継ぎ、大切な人を幸せにしようとしてきた時間にも、つながりを見いだせる。そこに救いを感じる受け取り方もあるのかな、と少しわかった気がします。

私はやっぱり、その人が生きてきた時間を大切に思う

船を修理して受け継ぐことと、過去を変えて人の人生が変わることは、まったく同じ話ではありません。船についての見方を知ったからといって、作品の結末への寂しさがなくなったわけでもないです。

私はやっぱり、主人公が悩んだこと、頑張ったこと、誰かと積み重ねた時間を大切に思います。

不幸な経験をしなくて済んだことを、救いとして見る受け取り方もある。『ファーストキス』なら、結末は変えられなくても、一緒に生きた時間を変えられたことに救いを感じる人もいると思います。

それでも私が気になってしまうのは、「あの経験をしてきた本人は?」ということなんですよね。

その感じ方は、今も変わりません。
ただ、「同じ船」「同じ人」と感じる理由は、誰にとっても同じではないのだと気づきました。

古い床に立って、昔の人に思いをはせること。物語の最後に、主人公のそれまでの人生を惜しんでしまうこと。

別々の話のようで、私の中ではつながっていたのかもしれません。
私は、その人や物が実際に生きてきた、取り替えられない歴史を大切にしているんだと思います。

うまくまとまりませんでしたが。

では。

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